12月19日の都心散歩ご参照ください。
今日は、事務所で人とのアポ、そのアポを終え、息子にTELし、久しぶりに銀座で食事を約束、その空いた時間で、都心散策用のあの大きなフロントキャリアーを持つ自転車を駆り、四ツ谷界隈、神宮外苑、銀座散策、丸の内のクリスマスイルミネーションなど見た。やはりすごい人出だった。しかし寒い日だった。
先ず四ツ谷駅を過ぎ、いつものコース、鯛焼き(四ツ谷わかば)でお茶を飲みながら休憩、その後、神宮外苑で、ハーレーの一団、何かのイベントかな、サンタのコスチューム・・大好きなハワイの公園で健康は鼻に呼吸器の管をいれていたのですぐれないと思うが、その格好・電動カートから昔、ハーレーでならしたであろう人生を楽しんでいる明るい個性的な方を思い出した。その後、皇居外周道を下り、銀座へ、皇居では白いテントが?銀座散策(ギャラリー等にに立ち寄り、韓国の作家さん、師走の風物詩いなせな方と懇談などしたり、魚久(ここはランチがいい)さん等何かいい店ないかなとか・・)、待ち合わせの場所、三越前、すごい人出、上を見上げるとあの行く年来る年定番の時計塔、息子と会い、梅林、その後クレープシュゼット(HOTEL オークラより濃厚)を食し、食べ過ぎのお腹を調整するために、丸の内などのイルミネーションなど見学し帰路についた。
ビル工事現場の壁に載っていた京橋変遷、昭和38年から40年にかけて高速道路のために、川が埋め立てられたが、時代の流れとはいえ、将来を見据えた都市計画はなかったのか?残念!イギリスには、運河が縦横無尽に今も残され、定年を迎えた方々が、ナローボートを購入し、ゆっくり景色を楽しむのも一つの夢だとか・・・その川のほとりでのいろんな至福のひと時を味わう・・・すばらしい! 本当に川沿いを自転車で走る機会が多くなると川沿いからの視点から考えると、本当に一時的、単眼的視野の都市計画より、複合的・長期的視野の都市計画の方が、損得計算をはじけば大きいのでは?
明治時代
大正時代
昭和時代
京橋の由来について、京橋川に架する橋。
京橋川は、昭和38年~40年に埋め立てられて、屋上に東京高速道路株式会社の自動車道路がある細長いビルに変わった。現在、自動車道路の下は、飲食店や駐車場になっている。
注:
わかば r.tabelog.com/tokyo/A1309/A130902/13000848/
ぶどうの木 www.budonoki.jp/